治療中は暑さも忘れて患者さんの治療に集中することができました。 |
抜歯が私たちに許された唯一の治療法である。列をなす患者さんを次々診察していく。限られた時間のなかで、平等をきすため患者さん1人あたり抜歯は2本まで。炎天下のなか、口腔内を覗き込む。ライトはない。問診表と、口腔内を照らし合わせ、抜歯部位を決める。そして通訳を介し、患者さん本人に説明し同意を得て、処置が始まる。
チユ−(痛い)、ハー(開いて)、カム(噛む)。覚えたてのカンボジア語と身ぶり手ぶりで患者さんとコミュニケーションをとり、歯を抜いていく。限られた器材と太陽光をたよりに、残根、カリエス、交換期前の乳歯を抜いていく。痛いからどうしてもといわれ、日本であれば十分に保存可能である症例であっても、心を鬼にして抜かねばならない。
カンボジアの人々の骨は硬く、根も長い。残根といえども、抜けてくると3番の根ほどの長さがあることもあった。吸収が始まる前の乳歯は根の形態から、なかなか抜けてこない。うだるような暑さと、焦りとで防護衣とグローブの下は汗でびっしょりになったが、なにより患者さんの協力的な我慢強さに救われることが多かった。
最終日の出来事である。40代の男性の患者さんだった。問診表を確認し、抜歯部位の優先順位を決めようと、いつものように、口を開いてもらうと、下顎舌側から舌下にかけての異様な歯肉形態が目に付いた。カルチである。とっさに同行されていた口腔外科の浅田助教授に診察を仰いだ。口底癌であった。
もちろん、抜歯などできない。おそらく痛い歯を抜いてもらう程度の心づもりで来ていたその男性患者は、戸惑いを隠せない様子だった。当然である。悪いものかもしれないので、大きい病院に行って診てもらってください、と説明し、現地の歯科医師にあとをゆだねた。しかしながら、ここはカンボジアである。抜歯ですら満足に享受できないこの国で、ましてや、この地方の村で、口腔癌の治療など受けることができるのだろうか。後ろ髪引かれる思いで帰国の途に着いた。
あの患者さんは、今ごろどうしているのであろうか。私は、患者さんに不安だけを与えて帰ってきてしまったのではないか。カンボジアでの診療を振り返る度、複雑な思いが今も胸をつく。
癌に限らない。口腔衛生指導や抜歯したあとの欠損補綴の問題。この国の歯科医療に貢献すべき課題は、山積している。私にできることは、何だろう。今後のSCHECのさらなる活動に期待する。 |