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ボランティア体験記
「SCHECのボランティア活動に同行して」

矢島周三さん (第9回SCHECカンボジア支援活動 06年11月参加)

 私はとある制作会社に勤める会社員。SCHECのパンフレットやWebサイトの制作をお手伝いさせていただいている縁で、今回のボランティア活動に同行することとなった。

 今回の活動は歯科診療と井戸及び簡易水道の視察、小学校開校式典への参加の4つ。詳しい内容は第9回の活動レポートに譲るとして、ここではボランティア活動に同行して感じた素直な感想を書きたいと思う。

 初めての海外、初めてのカンボジア、初めてのボランティア(に同行)。そんな事情もあって私の頭の中のカンボジアは緑と地雷の街。子どもたちは草原で戯れ、大人たちは農業に精を出す。そんな風景が想像された。しかしいざ到着すれば予想を覆す展開。道路は舗装され、ホテルはライトアップされ、無数のバイクが走る街。到着して早々、自分の浅はかさを思い知らされることとなった。ただ本当に栄えているのは街の中心部だけ。幹線道路を一本外れれば、地雷こそないがそこはイメージしていたカンボジアそのもの。豊かな緑にデコボコ道、日陰で涼む牛や濁った池で水浴びをする子どもたちに、何となく安心感を覚えた。



 カンボジアではあまり浸透していないであろう歯科診療。なかには「何でわざわざ痛い思いをしなきゃなんないの?」と腑に落ちない人もいたかもしれない。でもそれで良いのだ。よく分かんないけど実は役に立っている。それってとても素晴らしいことだと思う。ただ肝心の歯医者さんたちは、言葉の通じない患者と普段とはあまりに異なる環境に大変そうだった。カンボジアの人たちは基本的に動じない。診療を観察していてそう感じた。日本の子どもならたちまち泣き出しそうな場面も、カンボジアの子どもは無表情。歯医者に対する恐怖心がないからか、単に痛くないだけか。明らかに顔が引きつっている大人もいたが、決して大きな声を出したりはしなかった。そしてカメラを向けても無表情。たまに頬が緩んでも平静を装う。得体の知れない外人に警戒するのも無理はないが、そこには戦争の記憶が少なからず影響しているのかもしれない。

 子どもたちの横に腰掛け、手にしたペットボトルの水を指差す。「これカンボジア語で何て言うの?」僕が雰囲気で尋ねると、一人の子どもが答えてくれた。「タカオ」。試しに僕も発音するが、返ってきたのはせせら笑い。ウ○コとか下品な言葉でも教えられたのか。笑われている意味も分からず久々に疎外感を感じて少し辛かった。これは後で分かったことだが、どうやら僕の発音が下手くそなだけだったらしい。実際の発音をカタカナで表現すると「タック」。ただ外国語の発音を五十音で表現するのには限界があり、それはカンボジア語も例外ではない。厳密に表現するとすれば「タックァ」といったところだろうか。言葉でのコミュニケーションに限界を感じ、何となく指をポキポキ鳴らしてみる。するとそれを見た子どもたちも同じようにポキポキ。大したことじゃないんだけど、初めてひとつになった気がしてちょっと嬉しくなった。結局言葉は通じなかったけど、カンボジアの子どもたちとすごく近づけた気がした。いや、言葉が通じなかったからこそ近づけたのだ。僕らは言葉という便利な道具に身を委ねすぎているのではないか。そう思った。

 今回SCHECのボランティア活動に同行したことは、いろいろなことを考えるきっかけとなった。ボランティアとは何なのかも考えた。彼らはカンボジアで生まれ、僕らは日本で生まれた。ただそれだけなのに感謝されることに違和感を覚えたりもした。でもそんなことはもうどうでもいい。カンボジアの人たちが喜んでくれるなら。

SCHEC