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カンボジアの軌跡
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カンボジアを代表する観光名所、
アンコール・ワット
 未だ復興途上で財政的に厳しいカンボジアにとって、観光事業は重要な外貨獲得の手段です。そんなカンボジア観光の最大の資源となっているのは、シェムリアップ州にあるアンコール・ワットです。インドシナ半島で栄華を極めた、アンコール王朝の代表的な建築物です。
 アンコール・ワットは12世紀前半、スールヤヴァルマン2世によって造営されました。クメール語で「寺院のある都」という意味をもつこの建築物は、完成までに30年以上が費やされたといいます。初めインド文化の影響からヒンドゥー教の寺院として造営されましたが、後にカンボジアで上座部仏教が主流になると仏教寺院として用いられるようになりました。

 1431年頃、シャム(タイ)の侵攻により放棄されたため、ほとんどその存在は忘れ去られていましたが、1860年にフランス人の博物学者アンリ・ムーオにジャングルのなかで発見されて、世界に知られるようになりました。この壮大な寺院は、カンボジアの紙幣や国旗にも描かれているように、カンボジアを象徴する建築物であると同時に、世界的に見ても貴重な文化遺産であり、1992年に世界遺産に登録されました。

崩壊の危機にさらされているアンコール遺跡
 宗教を否定し、寺院を破壊したポル・ポト政権下で支配下に置かれたものの、アンコール・ワットは奇跡的に破壊を免れました。しかし長い内戦で受けたダメージは大きく、アンコール・ワットをはじめとするアンコール遺跡群は全体的に荒廃が進んでいます。戦火から立ち直り始めたばかりのカンボジアには、これらを補修するだけの財政的余裕はなく、国家として効果的な対策が打てずにいました。

 そこで代わりにこの世界遺産を守ろうと、各国から補修チームが続々と派遣され、懸命な補修活動が行われてきました。日本からも補修チームが派遣されて、日々この文化遺産の荒廃を食い止めようと活動を行っています。その結果、一時期は「危険にさらされている世界遺産」にも登録されていたアンコール・ワットは、とりあえず当面の危機は乗り越えたとして、2004年にそのリストから外れることができました。

 しかし決して崩壊の可能性そのものがなくなった訳ではありません。少しでも日々の補修を怠ればすぐさま崩壊の危機が再び訪れるでしょう。またアンコール・ワット以外のアンコールの遺跡も依然として荒廃が進んでいて、遺跡群全体という観点からすれば、何ら状況は好転していないといっても過言ではありません。これを乗り越えるには、日々粘り強く補修作業を行っていく以外にありません。そのために各国の援助活動だけではなく、これからはカンボジアの人々が自ら修復にあたることが不可欠です。
アンコール遺跡はカンボジア人の心の支え
 現在、各国の補修チームから遺跡の修復技術を現地の人々は懸命に教わっています。最近では遺跡の修復作業に携わる現地の人たちもどんどん増えてきました。復興途上でまだまだ余裕があるとはいえないカンボジアの人々が必死に技術の習得を試みるのは、遺跡が単に重要な観光資源だからではありません。カンボジアの人々にとってアンコールの遺跡群は彼らの心の支えだからです。自分たちは歴史上の偉大な先人たちの末裔であるという誇りを感じさせてくれると同時に、ポル・ポトの圧政と激しい内戦をも乗り越えた遺跡たちの力強い姿が、戦火などには負けない、復興は必ず叶うという希望を与えてくれているのです。

 カンボジアの人々とアンコールの遺跡群はこのような強い絆で結ばれています。この絆があれば、アンコール遺跡群はきっと崩壊の危機を乗り越え、これからもずっとカンボジアの人々の希望でありつづけてくれるでしょう。
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